
| 1.アメリカの初期の日本語教育 |
| 2.語学はスキルの習得 |
| 3.TOEICの問題点 |
| 4.英語のクラスがあるからには英語はやらざるを得ない |
| 5.学校で読み重視である問題点 |
| 6.スピーキングとライティング |
| 7.リーディングについて |
| 8.ドリルのクラスとグラマーのクラス |
| 9.ティーチングワークショップについて |
| 10.日本人の性格の問題 |
| 11.学ぶ側の問題 |
| 12.「英語は英語で」の問題点 |
| 13.生徒の質の英語習得に及ぼす影響について |
| 14.オーディオリンガル法について |
| 15.直接法は有用なメソッド |
| 16.最易外国語と最難外国語を区別しないのは危険 |
| 17.機能しない英語プログラムが延々と続く事について |
| 18.英語習得の難しさ |
| 19.中途半端な「習って」「慣れよ」式は危険 |
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問:後に著名なジャパノロジストとなる、ドナルド・キーン、エドワード・サイデンステッカー等が戦中に日本語を習得する為に使ったアーミー・メソッドついて教えてください。
答:当時のテキストを見たことがありますが、あのプログラムの原則も「はじめに音としての言語ありき」です。あの時代でも、ちゃんとソノシート等を使ってのオーディオ機器も活用していました。リスニング、スピーキングを通して習得した日本語をリーディング、ライティングしましたから、彼らにとって非常に難しい日本語でもスムーズに習得出来ました。現在のアメリカの有力大学で使っているメソッドも基本的には同じ原理です。
今の日本にある英語のオーラル教材は、あの当時から比べると遥かに整っています。ネットを通りしての有料・無料のラーニングツールは無限にあります。にもかかわらず、日本語母語者の英語習得レベルはかなり低いままです。要するに、いくらテクノロジーの恩恵に浴していても、ティーチングメソッド(ラーニングメソッド)等で教える側、使う側に問題があれば成果はかんばしからざるものになってしまうと言うことでしょうね。

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問:意思を伝達する手段であって、英語のコミュニケーションスキルより話す内容の方が重要では?英語を話せることが目的になるような教育は、本末転倒以前です。
答:語学教育は大まかに言えば、@特定の分野を指定しない、つまり主に純粋に英語の4スキルを伸ばすものと、A例えばビジネスマン対象のビジネス英語と言ったteaching
English for a specific purposeがあります。
@がしっかりしていますと、Aはそのしっかりとした土台の上で安定して伸びて行くわけです。Aで問題になるのは、主に単語(つまりテクニカルワード)ですよね。@がしっかりしていないと、上手くAが乗っかってくれないと言う事になると私は思っています。
私はアメリカの日系の会社で通訳・翻訳をやらせて頂いたことがありますが、日本人出向者は英語のテクニカル・ワードはかなり知っていたと思います。日本語と似たワードは多いですし。しかし、アメリカに長期住んでも@がなかなかままならなくて、Aを上手く生かせていませんでした。それで、どうしても通訳者から独立出来ないままでした。
@のクラスと言っても、現実には、生徒が例えばビジネスの為に英語を履修しているとハッキリしている場合は、@にかなりビジネス関連の単語を入れたり、オーラルのシチュエーションでのビジネス会話を多用したりしている訳ですが。
@のタイプのクラスで、生徒に英語を紹介する順の原則の一つに、「良く使われるものからそうでないもの」と言う流れがあります(もう一方は、「文型的に単純なものからより複雑なもの」という流れ)。当然、生徒の専攻する学部によってその「良く使われるもの」の定義が異なってくるわけです。

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問:TOEICはテストとしてバランスがとれているでしょうか?
答:私自身は、TOEICのテストに対しては余り良い印象はありません。日本人が考案し、受験者は日本と韓国の住人が殆どで、英語のパッシブ・スキルのみテストをします(上級になると、オーラルテストもお金を払えば受けられますが)。つまり、喋れなくても書けなくても良い訳です。
スピーキングやライティングと言ったアクティブスキルは、パッシブスキルより習得が格段に難しいですよね。私が教えている時一番難しいと感じるのは、生徒に喋らせる(つまり生徒から英語を引き出す)ことです。聞いて分からせるのと、それを言わせるのは物凄く段差がある訳です。リスニングは、センテンスの重要情報の部分さえ押さえれば言いたいことは大体つかめます。スピーキングはそのセンテンスの全ての語が言えなければなりません。文型は良いか、自然な表現、イントネーション、発音、スピードであるか等、スピーキングには色々な要素が関わってきます。
ライティングのテストのあるTOEFLは、スピーキングのスキルのテストも近い将来始めますが、そうなった暁にはTOEICよりTOEFLを受験すべきだと思っています。そうすれば、スピーキングとライティングの習得も始めざるを得ないわけです。やはり、コミュニケーションはリスニングだけでなくスピーキングもセットになっていますよね。社会、経済、産業、政治の急速な国際化に伴って、パッシブスキルのみならず、世界に向けて発信して行くアクティブスキルの英語が求められてきて来ていると思います。

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問:英語だけが教育ではない。英語の習得は皆に必要があるわけではない。
答:同感です。ただし、好むと好まざるとにかかわらず英語は小学校高学年から、大学四年まで長年付き合わなければならなくなっているメジャーな教科ですよね。そして、やらざるを得ない限りにおいては、かける時間とエネルギーに見合った成果
が求められると思います。
また、「オーラル英語は使う機会があまりないのでやる必要はない」と英語の先生ご自身がよく主張されるのですが、そういう風にいってしまえばリーディングも同じで、翻訳物であふれている日本に住んでいる限りはリーディングスキルも使う機会はあまりないと思います。にもかかわらず、「学習指導要領」にうたっているような英語(リスニング、スピーキング、リーディング、ライティング)が必修である限りはやらざるを得ないわけです。

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問:あなたの「コンテクスト・ドリル」と言った用語の使い方が気になって仕方がありません。
答:業界用語では、教室セッティングで状況があってコミュニケーションの練習をする場合をcontext
driven drillと呼んでいます。
実際の状況(コンテクスト)を作って英語を使い続けるcontext driven drillが理想に近いのですが、生徒からスムーズに英語がなかなか出て来ない場合、パターンプラクティスや繰り返し等のmechanical
drillも少なからず有ります。それをやるから、強い英語のインプットが得られる場合もありますので。
ですので、英語のみの直説法のクラスは「ドリルのセッション」と大雑把に呼んでおいた方が無難なわけです。これは「英語の習得」を目指すセッションで、「英語について」勉強する「グラマーのセッション」とセットを成しています。で、ここではそれらを簡単にドリルのセッションとグラマーのセッションと言う風に呼んでいます。
問:具体的にティーチングの現場等に関しての記述がどこにあるか教えてください。
答:具体的にご質問して下さればわかる範囲でお答えします。@まず外国語の「紹介」ではなく「習得」を目指す。その相応のシラバス作りとは?A当然ながら言語には4スキル(それプラスグラマーが)ある。Bではその内の2スキルであるオーラルスキルとそれプラスグラマーはどう習得させるのか。Cオーラルスキルの習得を目指すのであれば、当然テストにもオーラルテストが必要です。Dそのオーラルテストで上手く機能するためには、相応の日頃のクラスアクティビティーが必要になって来ます。Eクラスでオーラルアクティビティーがよりファンクションする為にはどういう教材、どう言うクラス外でのクラスの準備が必要であるのか。
仮にD一つとっても、では具体的にクラスでどう言ったメソッド、テクニックで教えるのか。生徒のあて方、答えの引き出し方、答えがでない場合の対処の仕方、生徒の間違いの扱い方等。ではティーチングプランは具体的にどう言う内容になるのか、、、、。無数に「具体的」なものは題材としてありますから、、、。
問:例文を暗記したくらいでは、はっきり言って無理です。
答:そうですね、暗記だけでは状況が変われば応用が効きませんので、それだけでは限界があります。ですので、状況の変化に応じて答え方を変えるパターンプラクティスであるメカニカルドリルが必要なのです。
バッティングを例に取れば、暗記はストレートを打つ練習です。ストレートに対応できるようになるまでスタンスをしっかりさせる練習をします。しかし、ピッチャーはストレートだけでなくカーブやフォークも投げて来ますので、今度はどの球種も対応できるよう基本的なスタンスは変えないで、球種の変化に対応できるように練習します。
この二種類の練習は実に重要ですが、実はそれだけでは限界があります。なぜなら、コミュニケーションは前後、回りの状況(context)があって初めて意味をなすからなのです。ですのでどうしてもそう言った人工的な状況を教室内で作り、コミュニケーションを実際に行ってみる必要があるのです。教室でのドリルは実際の試合でバッティングをするのに相当します。

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問:ネイティブの先生によるコミュニケーションのクラスは、「ゲーム」を使うケースが少なからずあるようですが。
答:おっしゃる通りだと思います。オーラルの習得は、英語のセンテンスパターンを理解し、暗記、パターンドリル、オーラル英作をやりつつ英語表現をコンスタントに覚えるやり方で確実に習得の道を歩んで行けると思います。つまり、その習得の困難なものは、困難ななりのやり方がある訳ですが、その問題を直視して克服する方向へ行くのではなく、今の英会話のクラスが目指しているのは、「その困難さを忘れましょう」なんですね。それで大の大人の大学生に幼稚園生がやるようなゲームをさせたりしているケースも少なからずあるようです。オーラルの授業イコール「ネイティブと喋る機会を与えます」になっている所がかなりあるように感じます。もっと、やりがいのある教授法をネイティブの先生に与えないと、ネイティブの先生に本当にお気の毒です。
学ぶ方も勿論問題はあると思います。英語会話のテキストは軽薄短小でないと売れないのです。オーラルの根幹である、センテンスパターンを理解しましょう、使える英語表現を毎日コツコツ習得しましょうでは、生徒は集まりません。つまり「楽」をしたい訳ですが、楽であればある程楽なりの成果
しかないのは当然ですね。それで、どうしていつもでたっても英語会話力が伸びないのかと、多くの方が訝っておられるのです。
問:クラスは学生がかなりのインプットをしてくるということが前提条件になりますね。
答:授業は、基本的にはインプットしてきたものをアウトプットする場という位
置付けです。
問:生徒のクラスへの準備は理想的ではありますが、これが簡単に実現するなら苦労しない、と思うのですが。
答:生徒は、やはり50分の授業に40分から1時間以上(個人差が随分ありますが)は準備するべきだと思います。私は、アメリカの大学で中、中の上、上レベルの大学で教えましたが、その程度のクラスの準備は殆んど問題になりませんでした。生徒には、「一寸きついな」と言うくらいが丁度良いようです。それが日本の大学では大問題になる理由が私には分かりません。予習・復習をしないで英語を習得しようと言うほうが無理があると私は思います。
英語のインプットはクラス外、グラマーのクラス、そしてそれでも英語はスムーズには出てきませんので、ドリルのクラス(部分的に)でもあり得ます。その場合のクラスは、オーディオリンガル・メソッドばりにかなりメカニカルになります。
問:そのような学生は極端な話、教員がなにもしなくても力をつける術をすでに、持っているのです。
答:いえそんなことはないようです。例えば、その米国の有力大学が使っている教材は、言語の4スキルが習得出来るとの評価が高くて誰にでも手に入ります。私は、日本にいて日本語の運用力がなかなか伸びないで悩んでいる英語のネイティブにそれを使うことを勧めていますが、彼らは腹を決めて頑張って使おうとはしませんし、やると腹を決めてもすぐに挫折してしまいます。おそらく、お金を払ってその教材を使ったクラスを履修すれば勉強が継続出来、日本語力は伸びていくのでしょうが、、。
英語も同じです。私自身は生徒が使えばかなりぺらぺら、スラスラになれる教材を持っています。しかし、それを納得してセルフスタディーをやれる人は殆んどいません(やろうとする人はたくさんいますが)。やはり大学のようにスケジュール化され強制されないとなかなか出来ないものなのだと痛感しています。

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問:専門科目のいくつかを外国人の教官が受け持ち、授業や試験は全部英語でやればいやおうなくリスニングやスピーキング力、英作文力も限られた範囲であってもつくでしょう。
答:かけた時間相応には英語力は伸びていくのでしょうが。その究極の形が交換留学ではないでしょうか。「外国人の教官が受け持ち授業や試験は全部英語」でやりますので。今は、大体の大学でそういったプログラムを持っています。で、それに選抜されるにはまず英語力が要求されます。つまり、まず英語力ありきなのです。
英語力がなくてこう言ったクラスをとると、やはり英語力は一応は伸びはするでしょうが、時間あたりの英語習得効率はかなり悪くなると思われます。つまり英語のインプットは、学習者の習得レベルと使われる英語のレベルが離れれば離れる程小さくなるように出来ていますので。
でも昔の優秀な「ど根性型」の英語の学習者は、分からないながらも必死で聞いて、そして分かろうと必死で勉強し、遂には破るのが不可能と思われた非常に厚い限界の壁をぶち破った人達だと思います。こう言ったやり方は、一般
にはかなり学習効率が悪いのみならず、多くの英語学習者の根気が萎え易いと思うのです。

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問:よく「英語圏に住めば」とも言われますが、最近それでも結果
に結びつかない留学生がいるのは、やはり基礎の欠落なんでしょう。
答:これは、私も沢山例を見て来た悲しい事実ですね。究極の英語学習法であると一般
に信じられている留学をしても(出向にしても)、英語力向上には限界が来易いですね。
その理由は正に仰るように「基礎の欠落」だと思います。センテンス・ストラクチャー(文法)がしっかりしていないと、単語数だけ増やしていっても上手くセンテンスにならないのです。
英語のスピーキングは留学しようがしまいが、しっかりしたメソッド(日本語母語者には、英語のどこがどれくらい難しいのかを知って、どうそれを克服して行くのかのメソッド)で英語の習得を試みないと、本当には喋れるようにはなかなかなれないと思います。
私も事情を多少知っている北米にある日系企業ですが、日本からの出向者が英語でのコミュニケーションが上手く出来なくて現地の人達と摩擦を生み、物凄く損失を蒙っているのです。アメリカ人は、日系企業には長くは腰を落ち着けません。コミュニケーションギャップから、日本人出向者と現地の人達との感情的な軋轢が生まれ易く、アメリカ人達は知識と技術を習得すればとっととアメリカやヨーロッパ系企業に再就職すると言った事が少なくありません。ある新聞発表によると、アメリカ人は平均8年で会社を変えますが、日系企業で働くアメリカ人はその半分の僅か4年なのです。

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問:日本は、米国のティーチング・メソッドの研究などはとっくの昔に終えて、授業でできるものは使っていると思っていましたが。つまり、議論や研究段階は済んで、それらの実践報告やティーチングデモがワークショップなどで盛んに行われているのでないのですか?
答:ティーチングメソッドや、ティーチングテクニックは言うまでもなく、基本的で根本的な問題であるクラスサイズ、クラス時間数、学年別
ではなくレベル別クラスの実現と言ったことさえほとんど改善されていません。クラス時限数はついこの間減らされましたし。
スーパーイングリッシュ・ハイスクール校が指定されていますが、その趣旨は「これから」ティーチングメソッドや教材を開発しようと言うものなのです。
私立の高校などでは英語にかなりの力を入れて(週七時間かそれ以上の学校はザラにあります)、TOEICや英検での客観的成果
を外部にアピールすべくプログラムを組んで時限数をかなり割いていますが、そう言ったかなり偏差値の高い高校でも、TOEICのテストをやりますと、半数近くが寝てしまいます。
問:どうして寝てしまうんでしょうか。
答:nonsenseなことをやれば生徒の脳は反応しなくなると言うことでしょうね。つまり、生徒の英語のレベルとTOEICの英語のレベルが開けば開くほど、生徒にとってはナンセンスとなる訳でしょう。
それは、文法訳読式で生徒のレベルのかなり上の英語を辞書を引き引きやらせると言うのも同じ理由でnonsenseだと言う事になると私は思います。

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問:実践に行かないで理論のレベルで止まってしまっているケースが多いと思います。ワークショップなどで実践例を見せても、やはり応用力に乏しい教師は結局ティーチングの改善にむすびついていない場合が多いと思われますが、、。
答:それは仰る通りだと思います。週末を使ってのワークショップ、モデルクラスのデモンストレーション見学くらいではかなり限界はあると思います。どうしても、夏休み全てを使って位
の意気込みで、実際の英語のモデルクラスを同時進行させ、参加者自身がティーチングの実践に参加すると言ったタイプのワークショップでないと。
問:教師というのは柔軟性に欠け、面子にこだわり、新しいものへの挑戦も消極的ではないでしょうか?
答:特に大学の先生ともなれば、ご自分のやっていることに対してプライドも高いわけでしょうからね。この手のワークショップで無表情、無反応なのは大体このタイプの先生ですね。

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問:企業は赤字を出せば責任を問われます。どうして成果
の無い英語教育がこんなに延々と続いているのか不思議でしょうがありません
答:仰る通りだと思います。ご存知だと思いますが、実践英語の必要性は企業間でどんどん高まって来ていて、今や自社内で英語プログラムを持っている所が少なくありません。それは、英会話学校や専門学校に英語プログラムを委託し、自社内の空いている部屋で「実践的英語」の授業をするタイプが多いのです。
内容は、英会話学校がやっていることと殆ど変わりません。英会話学校に行くよりこうやった方が経済効率が良いからでしょう。
ですので、英会話学校は「駅前」のみならず大学、企業にも進出しているのです。そして、駅前英語教育、大学英語教育での「実践的英語教育」で起こる大きな問題は、そのままの形で企業英語プログラムでも発生しています。企業も自前でやっている英語教育に関しては、この非効率性をどうすることも出来ないでいます。

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問:英会話学校の大学英会話コースは、卒業単位に換算できるようにすればいいのにと思うんですが、、、。
答:やはり、単位認定のクラスとそうでないものは生徒へのインパクトがかなり違いますね。成績を武器に、予習・復習をやらせてある程度生徒を引っ張って行けますからね。
これがノン・クレジットですと、お金を払って臨んだ最初の意気込みはどこへやら、にすぐなってしまいやすい訳です。
日頃は正規のクラスの準備や、受講で忙しいので、ノン・クレジットのクラスは言わば息抜きで、宿題は殆ど課すことが出来ないのが現実のようです。生徒の為に良かれと思ってガンガンやりだせば、生徒の足はすぐ遠のいてしまいやすいですし。

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問:ビジョンがあって初めて結果も期待できるものですが。
答:ビジョンは、高校の文部省作の指導要領によると「幅広い話題について英語で議論ができるようにする」なわけです(笑)。そして、実際の「結果
」は皆さんよくよくご存知ですよね。
「英語教育でもコース・デザインやカリキュラム開発(さらに教授法)は言葉は存在しますが、あまり実現(実践)されていないのが現実です。」ですが、実のある実践は不可能だと思います。私が「コース・デザインやカリキュラム開発(さらに教授法)」で非常に影響を受けた方は、それを開発するのに実践と研究を紡ぎながら、正に一生を費やしたのです。天才としか言えない、素晴らしく明晰な某アイビーリーグ大学の名誉教授でしたが、教材は多数の人達から熱心な協力を得つつ正に長年の実践でのトライアル・エラーの結果
で生まれたものです。
雑誌や新聞の記事を集めて大学の英語のテキストとしたり、ダイアローグを集めて簡単に作った英会話本とはかなり違います。残念ながら、簡単に作られた教科書は簡単ななりの効果
しかないと思います。
私がここで強調したいのは、シラバスには英語のクラスをとる為のハッキリとした具体的な目的、目標が必要であると言うことです。それは厳密に言えば個々の生徒の希望はそれぞれでしょうが、その目的・目標にオーラルコミュニケーション能力の習得を入れてしまえば、リーディング・ライティングと平行して勿論それも目指すことになります。
オーラルコミュニケーションの習得を目指す場合、いかに生徒から英語を引出す(この場合は英語でのリスニングに反応して、英語で答えたり質問したりすること)のかと言う問題に必ずぶち当たります。
例えば、日本語母語者は英語母語者にくらべてシャイな学生が比較的多い訳ですが、だからそう言った生徒の性格に合わせて、英語を引出そうとしないで(つまり、状況に合わせて英語で反応させることをしないで)、皆でコーラスのように英語をテープや先生に合わせてリピーティングをさせてばかりではどうしようもない訳です(ノンネイティブ、ネイティブの先生のどちらの授業にもこのタイプが物凄く多いのが現状だと思っています)。これでは、残念ながらいくらやっても目的は達成できないわけです。
「英語は喋らなければならない」と言う原則は、プログラムの目的ですので変えようがありませんので、私達先生が出来るのはそのシャイな生徒達の緊張をいかにほぐすか(時に笑わせることも必要ですし)、面
白くよりリアルなシチュエーションで英語を使わせる魅力的なティーチングプランをいかに作るかだと思います。

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問:良い先生があり、良い教材があり、しっかり授業時間数が取れるなら教える側の問題はほぼ解決ですね。
答:そうですね。それプラス良いティーチングメソッドとテクニックでしょうか。
それと、生徒の質でかなりクラスの雰囲気が変わって来ますね。本質的に英語は日本語母語者にとって物凄く理解の難しい言語ですからね。私は生徒の語感やreasoningが様々のレベルの大学で超異言語を教えた事がありまが(日本ではなく)、レベル1からレベル5まであるとすると、私の経験では習得時間とエネルギーは、レベル5の生徒はレベル3の生徒の4分の1くらいで済むような感じです(つまり、日常英会話の習得には大雑把に言って平均的レベルの生徒、つまり3の生徒には二千時間ほどかかりますが、5の生徒では五百時間ほどで済む感じです。逆に1の生徒には八千時間ほどかかる感じになりますが)。
英語が出来ないのは生徒に主に問題があると言う英語の先生からのご発言が多いのですが、生徒は経験が浅い事により英語教育や英語習得についてよく分からない人が多い訳です。ですのできちっと、実質的に英語習得の起こる原理原則や困難さや習得出来ていく過程での面
白さを教えてあげるべきでしょう。

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問:言語教育の理論は、同系言語を母語に持つものからのデータによるものが多く、他系列言語の場合が考慮されていない可能性が高い。が、前者をベースに構築された教育理論を日本語話者対象の英語教育に当てはめていいのか疑問です。
答:これは全くその通りだと思います。オーディオリンガルからコミュニカティブアプローチへの移行は、暗記、繰り返しドリルと言ったものがかなり否定されて来たからですが、これが母語に近い外国語なら確かに敢えてこう言ったことはやらなくても「自然と」習得が出来ていきますよね。
しかし超異言語ではそうは決してならない訳です。例えば、四年間ニューヨークに住んでESLのクラスにも通
ったりしているが、ニュースの英語―ニュースの英語は他のテレビ番組に較べかなり易しい部類にもかかわらず―の50%も分からない、と嘆いておられる方の書き込みをつい最近読みましたが、、、。超異言語習得では、暗記、繰り返しドリル抜きでやれば習得に時間がかかってしょうがない訳です。英語に沢山触れても、分からなければそれは単なる雑音ですよね。私はやはり英会話学校のように、生徒はかなりの部分ネイティブの先生の「雑音」を聞きに行くことになってしまっているところがネイティブの先生による英語のクラスの最大の問題だと思っています。

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問:日本では英語で会話する機会が少ないため、「聴く」と「話す」能力の向上は容易ではありません。しかし、「読む」と「書く」訓練は容易にできるので、まずこれらの能力を向上させることが重要だと考えます。
答:一般には、日本では「聞き」「話し」同様、「読み」も「書き」も使う機会は余りないと思います。後者も「使えるレベル」まで伸ばすのは並大抵のことではありませんよね。特にライティングはそうだと思います。ライティングはスピーキングが伸びると(つまり英語で上手く説明が出来るようになると)それに平行して伸びていくものなのです。両方ともアクティブスキルですので。両方を互いにヘルプしならがやればより効率的なのに、グラマーとかリーディングとライティングをスピーキングとブツリと切り離してやるのはやはり問題があると思います。
日本の英語教育はリーディングがまず先にありきの所がかなり多いようです。そのやり方ではリーディングの習得そのものに限界が来やすいのです。で、私はリーディング・ライティング力をよりスムーズに伸ばすためにはリスニング・スピーキングがまず先にありきだと信じています。上の英語のステイトメントが真実であるのは、私が実際に教えて経験したことでもあります。
私から見れば、リーディング偏重の日本の英語教育はわざわざ逆立ちしてやっているのです。ですので、当然ながらなかなか成果
が上がらないでいると思うのです。

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問:話す英語と書く英語とは別物です。私が知っている中国人女性は話す方はペラペラで書くほうがからっきし駄
目でした。
答:英語が流暢に喋れたのであれば、単文だけではなく、接続詞のある複文や重文も使って喋れた訳ですよね?そしてネイティブ並に助動詞も自然に使えると思いますが、それが書きになるといきなり単文だけで、時制が単純なものしか使えないと言うのは私にはにわかには信じられないのです。
話す方は、一瞬の判断での「英作」が求められますが、それが素晴らしくて、ジックリ練って目で追いながら書ける「英作」が全くだめというのは、私には信じるのは非常に難しいのです。
仮に、リーディングとリスニングのTOEICのテストスコアが同点の人がAとB二人いたとします。Aはかなり自然なスピーキングが出来るとします。Bは殆ど出来ません。二人に一学期のライティングのクラスをとらせてAとBにどういう違った結果
がでるかを見てみます。
これは天と地ほどの差が出ます。Aはかなり早くに、きちっとしたエッセイが素早く書けるようになりますが、Bは散々考えた末の日本語の発想のような、ネイティブから見れば未熟な英文エッセイレベルからなかなか逃れられません。これは勿論私の教えた経験でもあります。これはご自身で実験出来ると思いますので、是非やって頂きたいと思います。
ライティングの場合は、スタイルはものによって幾分異なりますが、一般に思われている程スピーキングとの差異はない印象です。例えば、TOEFLのstructureとreadingのセッションは一応文語、listeningは口語と言われている訳ですが、細かく調べれば分かりますが、お互いに違いはそれほどありません。オーラルと言ってもカジュアルなものから、大学でのディスカッションや講義まである訳ですので。writingでのエッセイは、幾分口語的になってもなんら問題はありません。
問:オーストラリア等の大学で、アカデミック・ライティングと言ったようなコースを用意しているぐらいです。高校までの教育では、「話せれば書ける」と言えない時代です。
答:母語を母語で勉強するケースですね。私達も大学に入って一般教養で日本文学かなんかのクラスをとって読んだり、エッセイらしきものを書いたりするのと似た所があると思います。アメリカでも、生徒がより良い論文を書けるよう、必修のクラスとなっていると思います。また、より説得力のあるディベーダーになれるよう、パブリックスピーキングのクラスもあります。
で、それなりに日本語を私達が書けるのは、そして人によってはかなり素晴らしい文章が書けるようになるのは、オーラルで散々リスニングし、スピーキングをしてインプットした日本語があったからです。それらを抜きに、ライティングのスキルは伸ばし様はないわけです。
この順序は外国語習得にもあてはまります。外国語の場合は、音としてのその言語の勉強をしなくても散々リーディングをして、ある程度はライティングのスキルを延ばす事は出来るかもしれませんが、音としての英語の習得を前提としてやらないと、アンバランスであまり自然とは言えない習得方法なものだから時間とエネルギーがかかってしょうがないわけです。
母語であろうが、ESLであろうが、EFLであろうが、言語の基本はオーラルにあります。それが言語の本質だからです。文法訳読法での英語教育は長い歴史がありますが、「特殊目的の外国語習得」なわけです。それが普遍的な外国語勉強法だと考えると、外国語教育の本質を見誤ると考えます。
問:「初めに音ありき」の教授法は習得対象言語で文盲になりやすいと思いますが。
答:私は、かなり異なった意見を持っています。日本語のライティングシステムと言うのは世界の言語の中で恐らく最も複雑なものの一つでしょう。音読もあれば訓読もありますし、一つの漢字が何通
りにも発音されるケースさえあります。それらの発音の仕方は文の前後関係で決まりますが、これがオーラルでの日本語がベース(つまり音としての日本語がベース)に無いと、生徒にはリーディングが物凄く難しいものになってしまうのです。つまり、リーディングと言うより暗号解きに堕してしまい易いのです。

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問:ティーチングメソッドに関して良い本はないでしょうか?
答:National Foreign Language Centerから出ている「A Framework for Introductory
Japanese Language Curricula in American High Schools and Colleges」は一読をお勧めしたい本です。EnglishをJapaneseに、JapaneseをEnglishに変えて引用します。
Basic Assumptionsの中のII.にはSpeech is primaryとあります。
A solid foundation in speaking is the best insurance that students will make
steady progress in reading.
日本の英語教育のように、reading is primaryでは、リーディングそのものに限界が来易いのです。
で、IV.はReading in a foreign language is not the same as decodingですが、Reading
is primaryではdecodingになりやすいことは明らかだと思います。で以下にチェックリストを二点引用します。
Are learners asked to read for meaning and to act on the basis of their comprehension,
or simply to translate into Japanese?
Are practice reading sections designed to require real reading under time pressure?
They should not promote word-by-word decoding - going directly from English
script to Japanese.
問:「文法を駆使しての暗号解き(decoding)」が出来る高校生というのは、私の教えた経験では偏差値で68以上の生徒だけだと実感する。
答:ここで「文法を駆使」と私が言うのは、あらゆる文法項目を生徒が知っていてそれを駆使するという意味で私は使っていません。文法には色々アスペクトがあるのに、一つのアスペクトにしか過ぎない文型文法のみを動員していて、その「文型文法の動員」は、生徒が文法項目を知っている場合のみならず、先生の黒板の説明をメモしたもの、教科書や教科書ガイドの中にある文法説明、文法書等を利用する場合もあるでしょう。これらを駆使して生徒に英文を解釈させていると言う事です。
問:伊藤和夫の以下の意見をどうお考えになりますか?
「読解中心の学習法を批判することは戦後の流行である。しかし批判者は新しい学習法として何を打ち出したのであろうか。」「‘多読が重要である’と言われる。だが、そもそも読むことができない者に多読と言った所で、それは多くを読んでいるのではなく多くを誤解しているにすぎない。誤解の集積がどのような過程で正しい理解に転化しうるのかの説明は聞けないのである。」
答:リーディングに限りませんが、要するに語学は生徒の能力プラス少し上を狙うことで初めて効率的に生徒の英語力を伸ばせていけます。生徒の能力とやっていることのギャップが大きければ大きいほど、生徒の習得の効率は悪くなるようになっていますよね。小学校から大学までの学校英語の一番大きな問題は、生徒の習得レベルに余りお構いなくどんどん文法項目、単語・熟語を紹介していってしまっていることです。大学の英語のクラスの準備で、辞書を片手に雑誌半ページ読むのに一時間かかるようなリーディングの仕方では、そのレベルの英語力で「多読」と言うのは全くのナンセンスでしょう。どんどん艱難辛苦を乗り越えるド根性型でやって、遂には雑誌も難なく読めるようになる人も極少数いるかもしれませんが、、、。
伊藤和夫氏のオーラルに関しての記述がないので何とも言えませんが、より効率・効果
的な英語の「習得」方法としてlistening, speaking, reading, writingの習得順序が間違っていると氏が言っておられるのなら、「実際それをおやりになってのご主張ですか?」とお聞きしてみたいですね。もしそれがyesなら、どうやったのか具体的にご質問させて頂きたいです。私はメソッドの重要性は強調してもし過ぎることは出来ないと信じています。
余談ですが、生徒の学力に関しては、確かに点数的には下がっていますが、それは嘗てのような偏差値教育が上手く行かなくなって来たと言う事ではないでしょうか?「ナンバーワンにならなくてもいい♪」と言う歌が去年大ヒットしましたよね。学力は今の学生もありますが、偏差値主義、点数主義では生徒がねじり鉢巻ではやらなくなってきたと言うことだと思います。ですので、私は嘗てのような文法解読方式の色合いの濃い英語教育ではますます上手く行きにくくなっていると思います。

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問:直説法を否定しておられるように感じますが、、、。
答:私は直説法を否定している訳ではありません。基本的には授業は直説法でやるのが良いと思っていますが、多くの英会話学校や企業の英語研修とESLがやる様に直接法だけでは却って限界があると思っています。と言いますのは、直説法での授業中のトリッキーで理解の曖昧な部分が(そう言ったものは山ほど出て来て、それが英語の習得をかなり困難にしている訳です)そのままになってしまうからです。やはり習得が成り立つ為には、直説法のクラスでの‘言語経験’だけではかなり限界があり、習得を妨げているポイントを理解させる必要が出て来る訳です。理解が伴わなければ、オオムの繰り返しと同様で大人にとって英語の習得はやはり起こりませんので。クラスの何分の一かはやはり、グラマーのセッションは必要で、上級の生徒に対しても上級のグラマーのセッションが必要だと思っている次第です。私にはそれが唯一大きな壁にぶち当たらない方法に思えます。
リーディングのクラスでさえ、直説法でやるべきだし、それは(勿論生徒によりますが)可能だと思っています(同じ音、同じ単語、同じ文法を持った英語なのに、リーデングと英会話を分けてやるのはかなり非効率だと思います)。リーディングの目的はリーディングのコンプリヘンションにあるのであって、そのコンプリヘンションを確かめる方法の中で生徒に英語を一々日本語に訳させると言うのは、非常に非効率な方法だと私は思っています。

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問:オーディオリンガル法が着目したのはドリルの効果
です。学習者が飽きてしまうという欠点はありますが、工夫次第では全く使えないこともないでしょう。要は繰り返し同じ発言をすることにコミュニケーション的な意味を持たせればいいのですから。
答:それは、仰る通りだと思います。スムーズに自然に言える様にする為には口慣らしのメカニカルなドリルは避けて通
れないどころか、私は一人で練習するぶんにはかなり効率的にスムーズに言える様にする為の有力なメソッドだと思っています(教室内でこれが中心の練習になればかなり問題があると思いますが)。

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問:pedagogical grammarとdescriptive grammarとどう違うのですか?
答:まず日本の英語教育界に見られる一番大きな誤解は、grammarを文型文法だと思ってしまっている所ですね。習得をこころざす場合、扱うgrammarはそれだけではないわけです。grammarとは言語の色々な面の法です。文型文法はその一つにしか過ぎません。とすると、目標言語の習得を試みる場合、それを実行したことのある人であれば、主に文型文法だけでは限界があると直ぐに気が付くはずです。どうしても音としてのルール関係、言語を「いつ」「どこで」「どう」使うのかのルールもカバーしなければなりません。しかも知識としてのみならず、それらをより自然に使えるように、、。
で、習得前提のgrammarを私はpedagogical grammarと解釈しています。そして、扱うのは文型文法だけではありません。
descriptive grammarは言わば、典型的なのが受験参考書の文法書タイプだと思います。「文法の為の文法」で、言葉を生きた言語として扱わないタイプのグラマーです。
一般にはpedagogical grammarとdescriptive grammarには、勿論多少違った意味があるようですが。
後者は文法家が言語のルールを記述したもので、前者は勿論後者をそのまま教室で使うわけにはいきませんので、生徒がより分かり易いように、より習得しやすいように説明された文法と言えると思います。
言語学の辞書によるグラマーの定義は、以下の通りです<Sansedo’s New Dictionary
of English Grammarより>。
1)統語論・2)形態論に加えて3)音韻論、4)意味論を含める立場が、かなり一般
的なものになってきている。
他方、文を越えた領域を対象とする研究も当然成立しうる。こういう文を超えた、具体的な場面
を前提とする5)談話文法(discourse grammar)。
問:語彙と文法項目の紹介のバランスについて教えてください。
答:私は語彙に関しては、最初は余り紹介する必要はないと思っています。最初であればあるほど、如何に文法パターンの理解と習得をさせるかが重要だと思います。特に英語の名詞等は、外来語として無数に入って来ていますからね。まあ、日本語となっているおなじみの英語の語彙を使ってもよいのでしょうね。
文法の方は英語の土台ですので、それがしっかりしていないと単語数をいくら増やしても生徒の英語は極めて不安定になってしまいますよね。つまり、上手く土台の上に単語が乗っからないわけです。受験英語の弱点は、知識レベルに留まっている使えない文法、つまり不安定な土台の上にドンドン英単語、英熟語を積み上げますので、英単語、英熟語は忘れやすくなります。

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問:教師が英語力はもちろん、様々な教授法に精通していても、理想的なクラスサイズで理想的な教材で理想的なカリキュラムを持って教える自由は殆どの教師にはありません。所属する機関の制限を受けるはずです。その枠組みの中でどれだけ生徒にやる気があり、こちらがその力を伸ばす手伝いができるか、ですよね?高校の先生方に聞きたいのですが、あの大学受験問題を前に十分にコミュニカティブな授業を実践されている方がいらっしゃったら教えていただきたいです。非常に困難な状況だと思うのです。「できるだけ、部分的にコミュニカティブ」な授業が精一杯なのでは・・。
答:中、高の英語の先生は実に大変だと思います。世間から、時代の変化や時代の要求に対応する英語のコミュニケーションも教えてと言われる訳ですが、そう言ったものを教える環境は一般
的にはかなりお寒いものがあると思います。それが仰る「所属する機関の制限」なのでしょう。その制限は所謂民間の英語教育機関にもかなりある様です。
ただし、私はやはり目標に対して上手く行かないシステムは少しずつでも変えていく努力が必要ではないかと思います。不備なシステムの中でいつまでも身動きがとれないままと言うのもどうかと思う訳です。
日本の英語の先生は、「いや、学校英語教育は単に英語の紹介で、習得の方は各自勝手にやってくれ」とおっしゃり、日本はずっとそれで来てしまってますからね。学校で十年間も「紹介」ばかりされている生徒にとったら、それは実に「高く」つくプログラムですよね。英語の先生は、クラスの時限数の少なさ、クラスサイズの大きさ等、色々な障害があって大変だとは思いますが、そう言った劣悪なティーチングの環境に対して、どうしてプロテストの声をお発しにならないのか不思議です。実際にそう言った効率的な英語教育の不備を克服している学校はたくさんあるわけですので。
問:日本の大学では、現状は貧しい環境でしか英語教育はできないのです。
答:それは大学によって異なってくると思います。つまり大学側の「やる気」で英語教育も随分違ったものになると思います。高校でも高校自体の「やる気」次第で、英語教育の環境は千差万別
です。アメリカのメジャーな大学では、超異言語のクラスは週6単位かそれ以上にしている所が少なくありません。特にスピーキングと言ったアクティブスキルの習得は、ポツポツとノンビリやると覚えては忘れの繰り返しでなかなか前に進めませんので、少なくとも毎日やっている訳です(グラマーや他のスキル習得も同時進行です)。そして、クラスのサイズは日本の半分以下でやっています。
あれが出来ない、これが出来ない、だからコミュニケーションとライティンブは相変わらずゼロに近くても仕方がないと言う時代ではないと私は思うのです。100%の環境ではないからオーラルとライティングは0%と言う議論はどうしてもいただけません。限界があるなら、その限界相応例えば理想の60%を目指すとか、40%を目指すとかで宜しいではありませんか?

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問:現代では、英語はもはや英語を母語とする方たちだけのものではなく、国際英語という視点が重要では?例えば、NHKのビジネス英会話では、毎週土曜日、いろいろな方のインタビューを放送しています。最近だけでも、オーストラリア訛りの方や、ドイツ語を母国語とする方などが登場しています。ですので、インド英語やフィリピン英語があるように日本英語があっても良いのでは?
現実問題として、学校等で英語の習得を試みる場合、学習対象・習得対象はハッキリしたものでなければ学習、カリキュラムを組みようがないと思います。「国際英語」といった現実には存在しない英語を習得の対照とするわけにはいかないのです。英語は「正しさ」と「自然さ」が、相手に通
じる決め手です。ですので、オーラルテストのポイントはそこにあるわけですが、、、。「国際英語」を教えていると主張なさる英語の先生は、英語の「正しさ」と「自然さ」はどこにお求めになられますか?どこにも求められないのです。私は、「国際英語」は結局なんでもありの「日本人による、日本人の為の、他の国の人からは非常にわかりずらい日本英語」に最もなり易いと思っています。
国連では当然色々な英語が話されていますよね。でも、米語なり英語なりのかなりの習得レベルであれば日本英語より遥かに相手の言うことが分かったり自分の発言が通
じたりするでしょうね。
外国人が習得を試みる日本語の「世界」でも同じですね。日本語には東京弁だけはでなく、関西弁、ズーズー弁、山形弁等たくさんの日本語がありますが、日本語は東京弁だけのものにあらずとして、独自の例えば米語なまりのひどい日本語の市民権を主張すれば、通
じるのは米語なまりのひどい者同士だけではないでしょうか?

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